こちらは1989年3月頃に撮影した写真です。 真ん中が管理人、向かって左側が当時中学3年生だったO君、そして右側がS君です。
管理人が大学1年生だったころ、O君のお母様が子供向けの英語教室を始めました。 そこで講師として採用していただいたのですが、O夫人と二人三脚でこの教室の運営に携わったのはわずか数ヶ月間のみです。
間もなくO夫人が病に倒れ、余命数ヶ月と宣告されました。 生徒さんはまだ7~8名ほどでしたが、親御さんたちからのご要望もあり、管理人はこの教室を一人で運営していくことになりました。
O夫人はあっという間に他界してしまったのですが、元気で無邪気な生徒たち、そして自分には人生の大先輩でもあった親御さんたちの期待に応えたく、自分の生活ほとんどすべてが、この英語教室の運営に費やされることになりました。
英語教育にあまりにも経験不足であったため、大手学習塾、大手英会話スクールにアルバイト講師として雇ってもらい、吸収できることは貪欲に吸収しました。 学習塾の幹部の方々にはスパイ(のようなもの?)であることは正直にお伝えしたのですが、それでも包み隠さずいろいろなことを教えてくださいました。 大学でも児童心理の授業を受けたり、図書館では教育に関する本をとにかく乱読しました。同じ大学の帰国子女の後輩たちを講師として数名採用しました。
生徒さんがお友達をたくさん紹介してくださり、生徒数は2年目には3桁近くにまで増えていました。 親御さんからの要望で、大人向けの英会話を始めました。 数学が苦手な生徒さんのために中学生、高校生向けの数学教室も始まりました。
今から思えば本当によく働きました。 帰宅は深夜、毎週土曜日は教材作りで一睡もしないことにしました。 一部の熱心な講師たちとは深夜から翌朝まで反省会をすることも頻繁にありました。 多くの生徒が一気に辞めてしまったことが2~3回あり、自分の力不足を責めました。 かと思えば短期間であまりにも多くの生徒が入会し、本当に目が回るように忙しくなったり。。。 教室が成長するほどとてつもない恐怖感を覚えました。 夜中に突然目が覚め、激しい動悸がはじまったり、胃に突き刺さるような痛みを覚えることが頻繁にありました。 なにかとんでもないことが起きてしまうような恐怖感に襲われていました。 過労が原因なのでしょうか、血尿がひどくて医学部の友人に論されて2週間ほど入院したこともあります。 生徒さん、親御さん、他の講師たちとのコミュニケーションに悩み、彼らのことを十分に理解することができず、ご迷惑、ご心配をかけてしまったこともあります。 ストレスのはけ口はバイク、車などを何台も買っては夜中の高速道路を一人でとんでもないスピードで走りまわること。。。
この英語教室の運営に携わっていたのは大学を5年かけて卒業するまでの4年間のみです。 ですが、このときに経験したことは会社員の10年分に匹敵すると断言できます。
そして1989年の春、開講以来4年間通ってくれていたO君が無事に第一志望の高校に合格しました。そして管理人は大学院に進学することになりました。 そしてこの英語教室は後輩に譲ることになったのです。 We had to move on with our lives. みんながそれぞれの道を歩み始めたのです。 上の画像はそのときに撮影したものです。